多くの人はライティングを過小評価しているように感じます。
おっさんもその一人でした^^;
ネイティブの中には話せるけど書けないという人が沢山いますが、これはむしろ極めて稀な例外です。
ノンネイティブである我々日本人の場合は、書けないのに話せるというのはごく簡単なフレーズ(*1) を除いて皆無でしょう。
(*1) 例えば、Thank you. という言葉は綴りを知らない子供でも使ったりします。(発音は間違っていますが)
つまり、極めて稀な例外を除いては、話せる=書けるということ。
話せることというのは、書けることと同義と考えられるのです。
ですから、話せるようになるためには、書けなければ話にならないのです。
話せることというのは、書けることと同義と考えられるのです。
ですから、話せるようになるためには、書けなければ話にならないのです。
もちろん、その逆の書けるけれども話せないというケースは多々あります。
しかし、これを見て、書くことは意味がないと決めつけるのはあまりにも乱暴です。
まずは書けるようになる。そして、その中で話せるレパートリーを少しずつ増やしていく。
そういうスタンスで取り組むのが良いとおっさんは考えます。
ただ、自分で書いた文章が正しいかどうか?非常に気になると思います。
そういう人のために、こういうサービスがあります。
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あなたは日本語を勉強したい外国人のために日本語を添削してあげます。
もちろん、添削することは義務ではありません。
ですので、添削してもらえないケースもありますが、
あなたが積極的に日本語を添削してあげれば、英語を添削してもらえる確率も増えるでしょう。